東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5130号 判決 1959年3月19日
原告 東部ゴム商業協同組合
右代表者代表理事 田村麿瑳夫
右代理人弁護士 大園時喜
被告 斉藤明照
被告 関村国次郎
右関村代理人弁護士 大原信一
和田栄一
主文
被告斉藤は原告に対し百四万三千九百円及びこれに対する昭和三十二年八月四日から支払いずみまで、年五分の割合による金員を支払うべし。
被告関村は原告に対し四十一万八千九百円及びこれに対する昭和三十二年八月一日から支払いずみまで、年五分の割合による金員を支払うべし。
原告の被告関村に対するそのよの請求を棄却する。
訴訟費用は、原告と被告斉藤間に生じたものは被告斉藤の、原告と被告関村との間に生じたものは二分し、その一を原告、そのよを被告関村の負担とする。
この判決は、第一項につき担保を供せず、第二項については五万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
被告斉藤は、原告主張の事実を全部認めて、これを争わない。
成立に争いのない乙第四号証(商業登記簿謄本)によつて、原告は、ベルト及びゴム製品の購入と販売の共同事業、あるいは組合員に対する事業資金の貸付(手形の割引を含む)及び組合員のためにする金銭借入れ等を事業目的とするものであることが認められる。
原告が昭和二十八年九月十九日事務員として被告斉藤を雇い入れたこと、および同日被告関村及び被告斉藤の実父末吉が、原告と被告斉藤のため身元保証契約をしたことは、被告関村の争わないところである。
被告関村は、被告関村が原告と本件身元保証契約をしたとき、原告は被告斉藤に金銭を取り扱わせないという約束をしたと主張し、被告関村はそのような供述をしているが、しかし被告斉藤ならびに原告組合代表者の供述にてらして、信用できないし、ほかにその事実を認めることのできる証拠がないから、右主張は採用できない。
被告関村は、原告と昭和三十年二月十五日頃本件身元保証契約を合意によつて解除したと主張するが、調べた全証拠によるも、その事実を確認することができないから、右主張も採用できない。
次に、被告関村が昭和三十年二月十五日頃、原告に対して本件身元保証契約を将来に向つて解除する意思表示をしたという主張について判断するが、しかしながら、被告関村は、被告斉藤にいかなる業務上不適任または不誠実な事跡があつたか、少しも具体的に主張していないから、仮りに契約解除の意思表示が原告に到達したとしても、その効果が生じたかどうかを判断することができない。してみると右主張はそれ自体理由がないものと考える。
被告斉藤の供述によつて成立が認められる甲第二号証と、同人ならびに原告代表者本人供述等を綜合するときは、被告斉藤は原告組合に在職中、組合の帳簿へ記載した額より少い額を金融機関に預金したりなぞして、別紙目録に書いたとおり、組合の金合計八十二万八千九百円をかつてに費消した事実ならびに組合所有の、組合が金庫に保管していた東京都民銀行の株式、この株券一株額面五百円、全額払込みずみのもの五百株、昭和三十一年五、六月頃かつてに持ち出し、これを他人に担保にいれて十五、六万円を借りうけ、その金を費消した事実が認められるのであつて、この認定を覆すことのできる証拠はない。
原告は、昭和三十一年六月頃における東京都民銀行の株式一株の時価は五百円だと主張するから、この点について判断するに、銀行関係の株式市場価格は、繊維や機械関係会社の株式のそれと比較して、著しい高低がなく、概ね一株の株金額を若干上下する価格であると考えられるが、しかし右銀行の株式一株の市場価格が、当時五百円であつたと確認できる証拠がないから、原告の右主張は認めるわけにいかない。
してみると原告は、被告斉藤の不法行為によつて、八十二万八千九百円の損害を被つたものというべきである。被告関村が、原告は右債権につき昭和三十二年五月二十五日被告斉藤から、同被告が債務者松尾我何人、連帯保証人馬上福寿、浜登始弘に対する七十万円の債権を代物弁済として譲渡をうけたと主張するに対し、原告は七十万円の債権を右日時に譲受けた事実を認めたが、しかしそれは代物弁済としてではなく、債権担保の趣旨であるといつて争うからこの点について判断をするが、被告関村のいう、代物弁済として債権譲渡がなされたものと認める証拠はない。右譲渡契約は、被告斉藤の供述により、原告が譲受債権を取り立てたときは、その金員を被告斉藤の原告に対する本件債務の弁済に充てるという約旨のもとになされたものと認められる。それ故被告関村の右主張も採用できない。
成立に争いのない乙第四号証と被告斉藤及び原告代表者田村の供述及び弁論の全趣旨により、次の事実を認めることができる。
原告組合は、既に認定した事業目的にして、昭和二十五年五月二十七日設立されたもので、昭和二十八年五月頃田村麿瑳夫、山上善吉、山口四郎、渡辺伝好、松本富二郎らが理事に就任し、田村が代表理事となつた。原告の組合員は設立後徐々に減少し、昭和二十八年頃は十名内外となり、事務員も二名程度でことたりるようになつた。原告は昭和二十八年八月頃男子事務員一名を採用するため新聞広告をし、また組合の役員に候補者のすいせんをたのんだ結果、約十名くらいの応募者があつたが、結局理事松本がすいせんした慶応大学出身の被告斉藤が採用された。原告としては身元保証人を三名希望したが、そのうちの一人である被告斉藤の遠縁にあたる者が不承知のため、当事者間に争いのないとおり被告斉藤の実父末吉と被告関村が身元保証人となつた。なお被告関村が身元保証人になつた事情は、末吉と関村が懇意で、関村は被告斉藤を小さい時から知つていたし、末吉から被告斉藤の就職をたのまれ、これを知人である原告組合の理事松本にたのんだ関係からである。
被告斉藤が原告組合に就職した当時、組合の事務は女子事務員二名がとつていたが、その一人が辞めてから後は、女事務員一名と被告斉藤がとり、組合員からの弁済金受領、組合の金銭出納あるいは金融機関への預金(小切手、手形等をもつてするものを含む)ないしその引出し、これらに伴う伝票の作成、記帳または毎年三月下旬現在における組合の決算書類の作成、もしくは組合総会における事務等は、専ら被告斉藤が主となつてしていたが、被告斉藤は、出入金伝票へは、会計担当の山上理事が出勤したときは同理事の捺印を求め、あるいは一ヶ月分を取りまとめて、山上理事宅に持参してこれに同理事の捺印をしてもらつていた。原告組合の決算総会は、毎年決算期二ヶ月以内に開くことになつており、そのときには、原告の取引先である金融機関が、原告の預金につき作成した預金残高証明書を用意しておくことになつていたが、昭和二十九年度と昭和三十年度の総会のときには、組合役員は、被告斉藤の「金融機関が立て込んでいるため、残高証明書がなかなかもらえない、明日もらう、明日もらう」という言葉を信じ、自ら進んで残高証明書をとらず、ついに残高証明書なしで決算と総会をすませた。昭和三十一年度の決算総会は、同年五月下旬に某温泉場で開かれたが、その前に会計担当の理事が被告斎藤に対して、残高証明書をとつておくように命じたが、被告斎藤はこれをとらず、そのため原告組合の役員らは「汽車の時間もないし、帳簿に間違いがなければよろしいではないか」ということで乗車して温泉場についた。このようなわけで昭和三十一年度の組合総会も、預金残高証明書なしでかたどおりすませた。以上の事実が認められるのであつて、この認定を覆すことのできる証拠はない。ところで前記認定のとおり原告組合は、比較的小さい組合とみられ、組合の事務は殆んど被告斎藤がとり、組合役員らは被告斎藤を信用していたようだが、しかし単に帳簿面だけが合つているからといつて、被告斎藤に対する監督につき、原告組合に過失がないとはいえない。すなわち原告組合の理事は組合の決算と総会のために、金融機関から原告組合の預金残高証明書をもらつて準備すべきだのに、被告斎藤の言葉だけを信用し、自ら直接残高証明書をもらうなり、或いは問い合せることをしないで、決算書を作成し、これに基いてかたどおりの総会をすませていたのであつて、このことは、被告斎藤の監督に関する原告の大きな過失である。もし原告が昭和三十一年度の決算と総会のために、同年三月末現在の残高証明書を金融機関からとつたならば、あるいは、別紙目録にかいた昭和三十一年四月二十四日から同年七月十四日までの、被告斎藤の横領費消事件はでなかつたのではないかと推認される。このように考えるときは、前記原告の過失を斟酌して、被告関村が身元保証人として原告に賠償すべき金額は四十一万八千九百円をもつて相当と認める。
本件訴状の副本が昭和三十二年八月三日被告斎藤に、同年七月三十一日被告関村にそれぞれ送達されたことは、本件訴訟記録にある郵便送達報告書によつてこれを認めることができる。
以上により、原告に対し被告斎藤は百四万三千九百円及びこれに対する昭和三十二年八月四日から支払いずみまで、被告関村は四十一万八千九百円及びこれに対する昭和三十二年八月一日から支払いずみまで、それぞれ民法所定の年五分の割合による損害金を支払うべきである。
原告の本訴請求は、前記限度において理由があるが、そのよの部分は理由がないものとして棄却しなければならない。よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石橋三二)